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子どもは大切なのに、自分がいなくなったように感じる。親の役割だけで終わらない時間を考える

きいてみた編集部

家族と一緒にいるのに孤独で、丸一日、大人と自分の話をしていない。子どもを愛していても、以前の自分が恋しくなる。二つの投稿から、休憩時間の長さだけでは埋まらない、話すことや考えることへの欲求を見つめます。

ソファの上に置かれた読みかけの本

1.誰かといることと、自分として話せることは違う

最初の相談者は、寝かしつけを終えた夜、その日は大人と落ち着いて会話していなかったと気づきます。家計が不安定なわけでもなく、子どもを持ったことを後悔しているわけでもない。それでも、考えたり話したりする自分が背景に引っ込んでいるように感じたそうです。

ここで欲しいのは、家事を一つ減らすことだけではないのかもしれません。段取りを相談する会話はあっても、自分の考えを途中で遮られずに話す場がない。一人の時間を作っても寂しさが残るなら、足りないのは休息なのか、対話なのかを別々に考える余地があります。

2.一人で充電する予定と、人と過ごす予定

分かります! 私は子ども3人のひとり親で、在宅勤務です。学校に送っていくとき、ママ友と少し話せるのが一日の大きな楽しみです。 少し前にかなり燃え尽きそうになり、カレンダーに「自分の時間」を予定として入れるようにしました。少し充電できるようになってからは、「人と過ごす時間」も入れ始めました。ただ最低限生きていくだけではなく、自分が満たされることもできるようにするためです。

この人は、自分の時間を確保してから、人と過ごす時間も予定に入れたと書いています。順序をそのまままねる必要はありませんが、二つを別の予定として扱っている点は参考になります。一人になれれば全て満たされる、と決めない考え方です。

たとえば、自由な一時間ができても、友人への連絡を先送りしたまま家事を片付ければ、用事は進んでも話したい気持ちは残ります。「何も頼まれずに休みたい」と「自分の話を聞いてほしい」のどちらを今かなえたいかで、時間の使い方を選び直せます。

休憩スペースのテーブルに置かれたマグカップ

3.昔の自分を全部取り戻すことを目標にしない

はい。ただ、ふわふわ漂っているように感じます。息子は大好きで、何にも代えられません。でも、仕事に熱中したり、友人や家族といつでも気軽に会ったり、趣味を持ったり、引き締まった体でいたり、スポーツの目標を持ったりしていた頃が恋しいです。

もう一つの投稿では、仕事や趣味、人と気軽に会えた生活が恋しいという声がありました。以前と同じ予定や体力に一気に戻ることを目標にすると、今できないことばかりが目立つかもしれません。その思いの中で、どの部分が特に大事だったかを小さく分けてみる方法があります。

仕事なら評価されることなのか、専門の話をすることなのか。趣味なら完成させることなのか、誰にも選び方を指示されないことなのか。具体的になると、昔と同じ量は難しくても、残したい要素を今の生活へ入れる案が考えやすくなります。

4.親同士の会話以外にも、居場所を残してよい

この投稿について聞いてみたら、子どもと関係のない、自分が母親であることとは別の趣味の集まりにいくつも入ったと言っていました。今も続けているクロスカントリーのランニング仲間などです。

このコメントは、母親本人の経験を、その子どもが聞いて紹介したものです。全ての人が同じ活動で満たされるという根拠ではありませんが、親であることを共通点にしない集まりを選ぶ視点があります。子どもの話をする場と、自分の関心から話し始める場は、役割が違います。

新しい集まりへ入るのが負担なら、以前の友人へ一通連絡するだけでも始め方になります。編集部の例なら「近況だけじゃなくて、最近読んだものの話がしたい」と具体的に伝える。相手に何もかも察してもらうより、今ほしい会話を少し示す方法です。

ノートの上に置かれた鉛筆

5.自分の予定が、家族の空き時間だけになっていないか

時間ができたら何かをする、という形では、家事や子どもの予定が先に埋めてしまうこともあります。家族に相談できる状況なら、何をしたいかだけでなく、その間の用事を誰が担うかまで話すと、予定が成立する条件を確かめられます。準備も後片付けも自分だけに残るなら、その負担も含めた相談が必要です。

今の自分を否定せず、昔の自分もなかったことにしない。そのために、まず一つ、親の用事ではない話題や予定を残してみる。子どもを大切にする気持ちと、自分として人に会いたい気持ちは、どちらかを選んで片付けなくてもよいのではないでしょうか。

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