子どもにとっての「尊敬」って何だろう
つい他の親と自分を比べたり、世間が子育ての正解・不正解として見せているものと自分を比べたりしてしまいます。
昨夜、8歳の娘と10歳の息子、それから近所の子ども2人と外で遊んでいました。みんなで警察ごっこをして、庭を走り回りながらお互いを逮捕するふりをしていたんですが、途中から少し激しくなってきました。誰もけがはしていないし、みんな笑っていました。でも、体を使った遊びを見ているうちに不安になって、私は落ち着かなくなってしまいました。
「体がぶつからない別の遊びにしよう」と言いましたが、みんなほとんど聞かず、そのまま遊び続けました。見ているうちに、内心イライラしてきました。
少しして、ほかの子のお父さんが外に出てきました。すると、子どもたちは一斉に遊び方を変えて、私とボールを投げ合い始め、声も小さくなりました。その人がいるだけで、場の雰囲気がガラッと変わったんです。
ボールを投げながら、あのお父さんが外に出てきた途端に遊び方が変わったのがよかった、と話しました。正直なところ、私の体が落ち着いたからです。投げ合いというやり取りをしていて、自分も安心できました。
そのあと、数軒先にあるその家族の新居を見に行きました。暗かったので、お父さんが懐中電灯で先を照らしながら家の中を案内してくれました。子どもたちは興奮して部屋を走り回っていました。娘が、友だちの弟を引き戸のクローゼットに閉じ込めてしまい、その子が押し開けて出てきたとき、ドアの下側がレールから外れました。
お父さんはひどく怒って、主に弟くんを怒鳴り始めました。「意味がわからない」「泣き声は聞きたくない」「全部ばかげてる」と繰り返して。子どもたちはみんな固まってしまい、すぐそばにいた娘もそうでした。
私は少し離れて、ただ見ていました。
帰り道、子どもたちに「あれはすごかったね」と声をかけると、すぐに話し始めました。息子は誰が悪かったのか決めようとしましたが、誰も悪くないよと伝えました。
それから、もうひとつ話しました。さっきは、あのお父さんが出てきたときに子どもたちの態度が変わったのを「尊敬しているから」だと思った。でも、見たあとでは、あれは恐怖だったんだと気づいた、と。
息子は「うん、あの人が来たとき僕が固まったの、気づいた?」と言いました。娘は「あの人の庭でレスリングなんかしてたら、『出てけ』って怒鳴られてたからね」と言いました。
私は、自分が長いこと思い込んでいたことを子どもたちに話しました。私の前ではほかの大人の前のような態度をしないから、私のことはあまり尊敬していないのかも、と以前は思っていたこと。でも、私を怖がっていないこと、自分らしくいても安心だと思ってくれていることがうれしいと伝えました。息子は近寄ってきて、私を抱きしめました。
従うことを尊敬と取り違えたり、静かにしているのをうまくいっている証拠だと思ったり、子どもがすぐ言うことを聞かないと自分を疑ったりすることが、どれだけよくあるかに気づきました。子どもたちが固まったとき、自分の体は落ち着いた。その感覚を「うまくいっている」と取り違えそうになるのもわかりました。でも帰り道、子どもたちが固まったことや怖かったことを話してくれて、私が本当の気持ちを言葉にしたときに抱きしめてくれたことで、我に返れました。子どもたちは私の前で黙り込まず、感情を出して、自分らしくいられます。外からどう見えるかより、私の前で萎縮しないことのほうが大切です。
親は、自分自身にいちばん厳しくなりがちです。他の親や子どもと比べてしまうのも簡単です。うまくいかず、ぐちゃぐちゃに感じる瞬間があっても、できる限りやっている自分に少し優しくしてあげてほしい、と思って書きました。「もう全部ばかげてる!」みたいな言い方になってしまうときだってありますよね。