趣味に「役に立つこと」を求めなかった頃の楽しさを忘れていました
記憶を深く振り返るセッションで出てきた、ある小さな場面が気になりました。趣味まで効率や成果を求めるものになる前、大人の皆さんは何をしていたのでしょうか。その人を仮に悠人さんとします。彼が思い出したのは、15歳くらいの頃、友達と外で遊んで帰ってきた場面でした。小さなかばんにはカメラ、虫眼鏡、昆虫の本、ペンが入っていました。
その日は、バッタや大きな緑のカマキリ、カエル、ヘビなど、面白そうな生き物を探して過ごしていました。おなかをすかせて帰宅し、撮った写真を見返し、食事を待ちながら音楽をかけていました。
その記憶の中には、生産性を求めるものが何もありませんでした。写真の作品集を作っていたわけでも、昆虫を紹介するSNSのアカウントを伸ばそうとしていたわけでもありません。収益化できるほど写真の技術があるのか、なんて誰も聞いていませんでした。
ただ、カマキリが格好いいと思っていただけです。同じセッションのずっと後で、自分が見落としている能力について尋ねたとき、また写真の話が出ました。要するに、ものを見る目がある、という話でした。
それを聞いて、誰かに言ってもらうずっと前から、手がかりはあったのではないかと思いました。子どもの頃の趣味は、参考になることがあります。子どもは、役に立つか、評価されるか、お金になるかで興味を測るようになる前に、好奇心に従うことが多いからです。もちろん、昔夢中だったことを何でも復活させればいいわけではありません。私にも、子どもの頃は大好きだったけれど、今は全然やり直したくないものがあります😂
それでも、振り返る価値はあるかもしれません。自分から持ち歩いていたものは何でしたか。何をしていると時間を忘れましたか。もっと近くで見たいと思って、20分歩く気になれた小さなものは何でしたか。
まずは、才能があったかどうかを問わなくてもいいのではないでしょうか。何に自然と目が向いていたのか、考えてみてください。
悠人さんにとっては、生き物をじっくり観察して、カメラで一瞬を切り取ることでした。誰にも写真を見せなくても、それは立派な趣味です。むしろ、そういうときこそ趣味なのかもしれません。