趣味は役立つものがいいですか? それとも、ただ楽しいものですか?
趣味に時間を使うと、何か役に立つことにつながらない限り、いつも罪悪感を覚えると気づきました。その考え方から抜け出そうとしています。皆さんは趣味が生産的かどうかを気にしますか? それとも、ただ楽しいからやっていますか?
楽しさは、ほかのすべてをちゃんと機能させる隠し味のようなものです。それがないと、どんなに「生産的」なことでも、観客が自分1人しかいない妙なパフォーマンスアートになってしまいます。 私も以前は、生産性のわなにすっかりはまっていました。でも今は、純粋に楽しむことも、それ自体が一つの生産性だと考えています。例えば、70年代の奇妙な実験映画を見ても履歴書にはプラスにならないかもしれませんが、数字では測れない大切な何かを脳にもたらしているのは確かです。 でも、罪悪感は本当によく分かります。ただ気ままに過ごす時間は無駄だと、私たちは刷り込まれているようです。でも考えてみると、まるで逆の理屈ですよね。
私たちは、生産性を優先するように刷り込まれていますね……。 私は以前、絶えず動き続けていました。仕事をするか、学位を目指すか、趣味で稼ぐかしていなければ、と考えていました。週末にも、充実した人付き合いを詰め込まなければ、価値がないように感じていました。疲れ切っていました。 ようやく、充電するための休む時間が必要だと気づきました。のんびりして、ばかばかしい趣味や興味に浸ってもいいんです。何でも上手でなくても構いません。人生は短いです。見方を変えて初めて、本当に大切なのは家族との時間と、次の世代に残せるものだと気づきました。
「観客が自分1人しかいない妙なパフォーマンスアート」という表現、痛いほど的確です(笑)。何にでも存在する理由が必要だという考えを、手放そうとしています。でも、楽しむことも一つの生産性だという捉え方はいいですね。ずっと健全な感じがします。ただ楽しいから何かをすることへの罪悪感をなくすうえで、最後に何が役立ちましたか?
その罪悪感は、自分の満足ではなく、誰かの承認を求めて生産性を追っていることを意味する場合が多いです。実際にやりたい趣味を選ぶことより、そちらを振り払うほうがずっと難しいんですよね。
ただ楽しいという理由で、日本語を勉強しています。日本に住んだり、日本で働いたりすることは、たぶんこの先もありません。ほかの文化に触れることや、言葉を覚えること、そのために頭を使うこと自体が好きなんです。 でも、これだけ時間をかけるなら、誰か
子どもや十代のころは、楽しいとか面白そうというだけで、気まぐれに趣味を始めたり、ものを買ったりしていました。今は何もかも、実用的か、生産的でなければならなくなっています。ときどき、何の目標もなく、役に立たない技能を覚えてみたいだけなんです。
ゲームや気軽なパズルのように、純粋に楽しい趣味もあれば、絵や楽器のように、何かを学んだり上達したりできる趣味もあります。 皆さんは楽しさと技能、どちらを重視しますか。それとも両方を求めますか。どちらが好きで、その理由は何なのか、聞いてみたい
最近気分が落ち込んでいて、心を落ち着かせたり、ストレスを和らげたりできる趣味を探しています。でも探しているうちに、履歴書に書けるものや、お金に困ったときの助けになりそうなものばかり選んでいることに気づきました。 スポーツやハイキング、塗り絵
趣味が絵やものづくりなど、創作系のものばかりです。人から「それ以外にも、将来役に立ちそうな趣味を持ってみたら」と言われて、何か始めてみたくなりました。おすすめはありますか?
ただ楽しいだけでなく、不思議なくらい自分にしっくりくる趣味ってありませんか。そのために自分の頭ができているような感じです。 初めてやったときに、「あれ、これだ。どうしてこんなに自然にできるんだろう?」と思うような。 皆さんには、自分の性格や